Sunday, January 09, 2005

米国のヤオラー

その後、少しWEB上で検索してみると、やはり米国でもヤオラーはいるようです。

ただし、米国では「ファンフィクション」の要素が非常に強くて、(これは昔から知ってました。)ほとんどがいわゆる、既成のキャラクターを主人公にする、ということに固執してます。こちらでは必ずといっていいほどSF番組などにはそういう「同人誌的活動」をするファンがすぐ着きます。
やはり、元祖はスタートレック。「カークとスポック」なんていうのは70年代初めに登場していて逸れ以来、その手のファンフィクションは有ることにはありました。

別に何でもいいのです。子供達が「ガッチャマン」を校庭で真似してロールプレイするのと基本的に同じです。(コスプレもそうです。)

うちの息子も4歳でPS2のゲーム「トニーホークアンダーグラウンド」1.2. SOCOMシリーズなどがお気に入りで、ゲームをやっていないときもそれらのキャラの真似して遊んでます。
普通の4歳の子供が好きそうなことには興味がなく、ろくに自分の名前のスペルも知らないのに「ナイトヴィジョンモード」「タクテイカル・アナリシス」なんて言葉は知っていて学校のカリキュラムを全てPS2のゲームに盛り込んでしまえば学校にいく必要がないのではと思ってしまいます。
つまり4歳だろうが42歳(ちなみに主人は息子より真剣にゲームしてます。)だろうがゲームのキャラになって「役を演じる」というのは「魅力的なこと」らしいのです。
(私には判りません。主人は仕事場でも本物のSOCOMネイビーシールズの人たちと同僚なのです。彼らから攻略方法、直伝を受けているのでしょうか?)

***
アダルトサイトのリンクなどでも、アニメキャラを使用したものなどが昔からあって、これは殆ど著作権侵害に近いものです。(ま、殆どのアダルトサイトの多くは怪しいものがほとんどで、サイトはでては消えていきます。)

その点では、米国で「ANIME」という単語が定着してきた昨年以前からアダルトサイトではジャンルのひとつとして存在していた、ともいえます。

そんな米国において、やおいはその次世代の動向として日本の劇画を輸入して楽しんでいるいわゆる新し物好きのマニアによって広められているのです。
ですから、自然に少女漫画を読んでいた私達の世代が大人になって、という歴史や発展の過程は無くて、出来上がったサブカルチャーがそのまま持ち込まれているのでしょう。

驚くのは、日本語の劇画単行本を「読めないけどファンです」という外国人が多い。
もしかすると作者本人は日本人の読者以上の数のファンが外国にいることに、気が付かないのではないかと思ってしまいます。
(出版社はかなりの収入源をここで見逃していることに気が付いていないのでは、と思います。)

もしかしたら、この線の劇画を翻訳するというのは需要がかなり大きいかもしれません。つまり、英語なら米国だけでなく世界中に到達することが出来るからです。

うーん。

Thursday, January 06, 2005

私はヤオラー?

久しぶりに愚痴でもなく社会問題でも音楽でも芸術でもないことです。

長いこと日本にすんでいなくて、当然日本のカレントカルチャー、サブカルチャーはさっぱり判らない。
それらの名称も何をさしているのかわからない。したがって日本語もわからないという悪循環になっているわけです。先日も「ロリゴス」というものが何かわからず掲示板でそれ何?と聞く始末。

それでも最近日本のサイトの掲示板でお世話になっている皆様にご教示いただいたりして一応付いていこうとけなげな努力してます。そのとき一緒に出た、ボーイズラブという単語は自分で調べました。(しかし、怖い。)

私が日本にいた頃は「オタク」といえばそれ一種類いなかったのですが・・・つまり犬といえばプードルもセントバーナードもチワワも同じ犬・・・〈喩えが判りにくいですか?〉

そんな感じでした。何とかオタクといえばそれでよかった。

ところがそれから15年もするといろいろサブカルチャーも詳細に分裂して、もはやアメーバの細胞分裂のごとくとんでもない勢いでジャンルが細分化していることに昨年来日して体感したのでした。

そして去年ぐらいから、米国の書店、CDDVDストアの店先にも日本のアニメ、それから漫画〈雑誌、単行本ともに〉並ぶようになり、当然それらのファン活動も日本と似たような動向を示すようになってきたのです。
というか、日本式の活動が輸入された、と表現したほうがよいかもしれません。

***

ところで、私には人様と同じように「幻想・夢想・妄想」があるわけですが、(そして、ショパン様、リスト様、中学生のころはランボー様、キッスのポールスタンレー様なんていうのもありました。そして御多聞にもれずオスカルさまとか・・・)

しかしながら私は両親に漫画を禁止されていたので、私が唯一楽しめるのは学校で休み時間に貸していただく、または高校のときは授業中に読む、なんていうことしか出来ませんでした。ベルバラは例外で持ってましたけど。
高校の文化祭では漫画部の展示にベルバラのイラストを持っていってちゃんと展示されたりしてました。(誰かにあげちゃった。その頃からこだわりありません。自分の書いたものには)

友人とは好きなバンドのヴォーカルやギタリストを主人公にした、わけのわからん漫画
を書いたりしてました。元Deep Purple,そして当時ホワイトスネイクを率いていたデビカバことDavid Coverdale、現在米国ではお茶の間のパパさんアイドル、オジーオズボーンなどが主人公になって、とんでもないシーンを繰り広げていました。
今でも覚えているのは・・・
デビカバ「ジョル、可愛がってやるぜ!」
殴り書きのベッドが付け加えられている
オジー「僕も混ぜて!」
ジョル(私のバンドのドラマーが勝手に私を漫画に入れたのです)「ああ、私はヴァンデンヴァーグ様のことが・・・」ギター(レスポール)にしがみつく。

ヴァンデンバーグさまは当時無名の自分のバンド、ヴァンデンバーグを率いていた長身オランダ人ギタリストですが、偶然何年も(8年ぐらい)後になってデビカバの米国版ホワイトスネイクに加入したのです。びっくらこいた。この時は。
高校のときのこの漫画は実は米国ロック界のヒット作品を予言していた・・・と私は信じています。

つまり、こんなのもヤオラー的要素があるわけですね。
上の漫画では男X男はありませんが別の時に「モトリーのトミーとニッキー」なんてよく描かれてました。高校のときはガンズはまだ日本では知られてませんでしたが、スラッシュとダフ(ベース)なんていいコンビですね。ガンズのグループ写真でもスラッシュとダフは必ず隣同士でポーズとってます。出かけるときも一緒。例の「禁止語連発」のAMA賞でも二人は手を繋いでステージに上がってました。(あれ、米国では勇気いるよ。あの二人本当に・・・)今でも新しいバンド一緒にはじめたばかりです。

ちなみに私、スラッシュのシャワー中写真持ってました。(アブねー、でも主人も知ってます。)すごくゲイっぽい。かれはレニークラヴィッツともマブダチです。(似てる顔も)


もし、漫画が自宅で許されていたらわたしもきっといわゆる漫画家になったでしょうね~。見当も付きませんが。
だいたい、プロにならなければ女性は既成のキャラをもとに想像(妄想)してイラストを書いたりするわけで、その時点で既にヤオラーの要素があるわけですね。

だいたい、中学校の時にヴェルレーヌからランボーに入っていく、というのはもうヤオラーの元祖のようなものです。中二というと1978年ぐらいでパンクカルチャーが花開き始めた頃ではないかな。
ロンドンパンクではなくNYシーンでしたね。私は。
パティ・スミス。
彼女も友人(愛人)にロバート・メイプルソープがいたり、彼女はランボーが好きだったから傾倒しました。彼女はあとで確かMC5のギターと結婚したはず。何とかスミスという人(マイナーですみません)
ロバート・メイプルソープがまだ生きていた頃です。彼は確か女性ボデイビルダーの写真とかも撮っていたから、それも好きな理由だったと思います。
85年ぐらいからは私自身もフィットネスやワークアウトに凝ってました。シュワちゃんのこと中学生の時から知っていて彼のボデイビルの活動とかよく輸入雑誌でフォローしてました。今は、自分の住んでいる州の知事ですよ。信じられません、自分が14歳の頃のこと考えると。彼はまだボディビルのチャンピオンでしかなかったんです。

***
そう、話題を戻しますが、米国でも英訳されたルパン三世を買ったり、インターネットで日本以外のアニメ漫画ファンのサイトなどを捜して廻るようになったのです。(日本のはなぜか、どう検索してよいかわからない。つまり言語を知らないので検索できないのです)

ある日のこと、このグーグルのブログをめくっていると(ほとんど宝くじのようなもので一日に30サイトぐらい自分のページから順にめくります)私の知らない言語のサイトに明らかに日本人のバンドと日本の劇画の貼り付けられたサイトがあったのです。

バンドはしばらくして関西出身、ちょうど私がバンドなどをやめた直後に活発に活動し始めた「ラルクアンシエル」というバンドのようでした。なんとなく覚えのアル響きなのでアマの頃どこかで見たことがあるかもしれません。
ヴォーカルの人の写真にだけキャプションが着いていたので探し当てることが出来たのです。(JINMO?HARIさん?知ってる?この人たち・・・対バンやったことありそう) ---

それから、その人の貼っていた劇画は今日リンクのサイトでわかったのですが、ヤマネアヤという人のイラストだったのです。

このリンクは驚き。なんとヤオイがそのまま英語になっているだけでなくしっかりコンヴェンションまで開催されている!!!

おお~なんだこれ、とこのサイトをめくってみると、コンヴェンションのメインゲストにヤマネさんという作家が招待されている。
その方の作品の一枚が紛れもなくブログで貼られていたのとおなじ「カップル」のイラストではないですか。

いや、たしかにブログでみたときも「結構妖しい」のはわかりましたけど、それが独立したジャンルに分けられているとは見当もつかない。
最近の漫画や劇画の題名や作家も知らない人ばかり。
作風だけで見当はつけられない。
だいたい、このヤオイジャンルも英語のアニメサイトからずるずるつながって探し当てたものなのです。

別に私がヤオラーの説明をする必要はないと思うのですが、なぜ米国にいわゆるヤオラーがいないのか不思議です。
コンヴェンションをするからには、いるのかもしれないが。

前に眠り姫を紹介したときに「女性向けロマンス小説」も厳格に要素が決まっていてツマラン、と書いたような気がしますが、まさにアン・ライスは米国のヤオラーといってもよいのではないかと・・・。(いまさらのように。)

眠り姫という既成の物語に自分なりのフィクションで「その後」を語る、という要素も正にヤオラー伝統を踏破している。ファンフィクション要素ですね。
そして内容、言わずと知れた同性愛的要素。(これが大事です)
そして、女性が、女性のために、というのも大事なヤオラー要素です。

じゃ、なんで米国ではアニメ関係以外のヤオラーがいないんでしょうか?

ロマンス小説の出版社には、毎日の様に主婦や普通の女性が自分で書いた小説を送りつけ明日の「ロマンス小説の女王」を目指しています。
それも、いろいろなジャンルがあり、オフィスもの、カウボーイもの、歴史もの、エキゾもの、そして、恋愛の描写がソフトなものからかなりハード(といってもエロ小説とはいえない)なものまで。

これだけ、インターネットが発達し、同人誌的活動がしやすくなっているのに、米国にはそういう女性がいないんでしょうか?
こちらではまだアニメのキャラへのこだわりがあるようですから、その事もあるのかもしれません。日本の伝統に従うというか。 そして、著作権問題。(マ、それは当然)

***
でも、ショパン様とリスト様が・・・ (ピアノ関係の米国人によると昔そういう危ない小説をどこかで見たことがあるが、現在はなくなっていると一度報告してくれた。)


著作権には関係ないし・・・


やはり冒涜でしょうか。(微笑)


Thursday, December 23, 2004

ピアノ、調律、こだわり

何回か過去に自分のグランドピアノの調律、調整についてのいきさつを書いているが、読まれた方から「こだわりが凄い」との感想を頂いた。

確かにそうかもしれない。
私にとって自分の家のピアノにこだわることはあまり意味のあることとはいえないのは自分でも良くわかっているのだ。

まず私はプロではない。〈プロというのは音楽学生なども含める〉
それでどうなるという真剣さはない。

それに、このピアノで他人に聞かせるわけでもないし、レッスンを自宅で受けているわけでもない。
私がピアノ教師で、自宅のピアノで生徒のレッスンでもしていれば正当化できるだろう。

私がもしこの「音へのこだわり」に見合うだけの才能をもっていればそれも少しは正当化できるだろう。しかし自分でもとてもそれに及ぶだけの才能はないと認めざるを得ない。

ただ私が音楽について学んだことの中に
「良い楽器を使えば上達が早い」
という紛れもない事実がある。
したがって、自分はそれを実現したいがためにこだわるのだ。

あるいは料理好きの人たちが素材や調理用具に良いものを選りすぐるのとも似ているかもしれない。別に、彼らの料理は店に出されるわけでもなく、多分家族や友人の毎日の夕食として食べられるものだろう。でも、そのプロセスにこだわる。
料理を味わう人にとって、カレーの中のにんじんがゾリンゲンの包丁で切られたかどうか味わうことは出来ない。
きっとそれと同じことなのかもしれない。




人間リスト

下にどうやって当時の音楽を楽しむか、なんて勝手なことを書いたが別に「どれが正しい」という言うつもりはない。

だいたい「正統派のピアニスト」「正統派の芸術家」なんて言葉はオキシモーロンOKXYMORONである。たとえクラシックであれ「こうしなくてはいけない」なんて手法にこだわるのは愚かだといいたかっただけである。
ところがそういう意見を言っただけで「ケシカラン」と腹を立てる人物が意外に多いのだ。
つまり自分が正しいと信じていることに反対する人の存在が許せない。したがって、そういう意見を聞くと腹を立てる、ムカついてしまう」のだ。
いやなら無視すればいいと思うのだが、「間違っているものを正さなければいけない」と固く信じているから始末が悪い。

と愚痴ったところで、こんなことが書きたかったのではないのである。

***

リストは長い間「演奏家・ピアニスト」として世に知られ、同年代のショパンと比べてみると活動などの年代スパンがまるっきり違うことが良くわかる。
ショパンが早くから「作曲家」として揺るがぬ地位を築いていたのに対し、リストは演奏家としてでさえかなりの遅咲きである。
天才少年として早くから名を馳せてはいたものの、実際に「演奏家リスト」として本格的活動をはじめるのは3人目の子供が生まれてから、彼は既に28歳である。
明らかに子供達の生活費、養育費そして一応将来彼らが困らないだけの貯金を稼ぐためにピアニストとしての生活に飛び込んだのである。もし。彼が望んだなら、もっと早くにいくらでもそのように出来たはず。たとえば同じく同年代のヒラーやプレイエル夫人などは10代のときからそのような活動をしていた。
リストはそれらの立ち並ぶ大物ピアニスト達の中でも、その気になれば簡単に周りを圧倒することが出来たのにそれは必要に迫られるまでしなかった。

リスト自身「自分を演奏家として売る」ことに早くから疑問を持っていて、作曲家としての自分が、それらの作品を世間にプロモートするための必要悪、大いなる矛盾として〈彼は、そのような美しい表現は使っていない。「芸術家の売春行為」と呼んでいる〉常に悩んでいた。

演奏活動を引退、作曲家、指揮者として活動を始めても当然彼のもとにはピアノを習いたい、という若手ピアニスト達が集まる。
ところが彼は「僕はピアノ教師ではない」とカンタンに言い放ち、授業料を取らず「音楽家の先輩としての助言を与えるだけ」の活動をする。
若い音楽家たちは「自分の持っている芸術」というものを彼に提示できなければリストには受け入れてもらうことは出来なかった。
「そんなことは音楽学校に通って勉強したまえ」といわれた音楽家達は多い。

「君はそんなひきかたをどこで習ったのかね?」
「カール・クリンドワース〈リストの一番弟子の一人〉が教えてくれました」
「うん。それは彼にはぴったりで彼はそれで非常に巧くやってのける。でも、同じ方法は君には向かない。」

彼が指導するときは百人百様の方法で導いたのである。それが「ライプツィヒ」(音楽学校のこと)と彼との大きな違いだった。「ピアニスト生産工場の音楽学校」と違う。リストは若い芸術家に助言を与えるだけなのだ、という静かな反乱だったのである。

あるピアニストが英雄ポロネーズの中間部、左手オクターブを弾きだしたとき、彼は怒鳴った。
「私たちは君がオクターブを早く弾けることなんかに興味はない。私が聞きたいのはポーランド軍の騎馬隊が押し寄せ、敵軍を踏みにじり味方を勝利に導くサマだ!」

ピアニストの髪が逆立つのが想像できる。


きっと未だに「こう弾きなさい」と指導する音楽教師は多いだろう。



Tuesday, December 21, 2004

19世紀の音楽の楽しみ方

さて、皆様は私がピアノだけでなくヴァイオリンも少しかじり、さらにはその昔は歌なども歌い、打楽器、ギターの基本知識なども有るのはご存知かもしれない。
つまりバンドで必要なことはどの楽器でも一応ピンチヒッターにはなるくらいの知識と技術は身につけたのだ。
音楽に限らず、色々な事を『自分でやってみる』のが好きなのだ。

昨日ベートーヴェンを素材にした映画 Immortal Beloved ゲイリーオールドマン主演 を鑑賞していたのだが、製作者が
「ベートーヴェンの曲は聞くだけと実際に自分で弾いてみるのとは大違いだ。現に当時彼は「聞く人」を想定して曲を書いたのではなく、楽譜を購入した人が自分で弾いてみることを意識していたに違いない」
というようなことを言っていた。

まさに、ひざを叩いて「その通り」と言いたくなってしまうコメントだった。良くぞ仰ってくれました。
私が個々のピアニストやパフォーマーに特に注意を払わないのは、主にこれも関係している。つまり彼らの演奏を楽しむことはあっても、それはただ単に「自分の代行」にすぎないからなのだ。
だから、特定の演奏家の演奏が全ていい、と思うことはまずないし、そういう聞き方もしない。どこかで耳にとまれば誰だろうと調べることもあるが、それはあくまでもその楽曲で、という意味だ。

当時はCDなんてものはなかったのでショパンが新しい曲を出版すればそれを楽譜屋に買いに行き、家に帰ったら自宅のチャチいピアノで練習しなければならなかった。
特にショパンは一般のためのコンサートには殆ど出演しなかったから、そこらのピアノ愛好家はショパンが自分の曲をそのように弾くか、まったく知らないのだ。
そして、よほどの余裕があるもの出なければピアニストのコンサートなどというものにも行くことが出来ない時代だ。それは作曲家達も良く知っていた。

したがって、現代人が「だれそれピアニストはどうの・・・」なんていうのはあまり価値のない論争ではないかと思う。
絵に置き換えてみればいい。
「これは私のコピーしたゴッホのひまわりです」
「これは私の描いたドラクロワの馬です」

なんていうのばかりで自分を「画家」とは呼べないし食っていけない。
ところが、19世紀が終わったあと、なぜかそういう習慣が音楽の分野では定着してしまい、挙句の果てには録音技術が発達して、「再生すること」のほうに重きが置かれ〈聞き手は「いかに巧い再生を楽しむか、見つけるか」〉本来の「音楽を楽しむ」という事は忘れられてしまったのである。

勿論現在でも音楽を自分で習い楽しむ人たちは多いだろうが「一定の教本、流派、Method」にこだわらないで自分の「楽しみ方を追求する人たち」が何人いるだろうか?
そういう方法で認められた演奏家たちがどのくらいいるだろうか?
(そういう演奏家は多分商業的に成功しないだろうし・・・)

グレン・グールドはそのよい例ではないかと思う。彼は自分で納得する方法でしか弾かないし、それを誰に認めてもらおうともしていなかった。
本人に言わせれば「録音技術が発達したのだから、聞き手は同じバッハの一曲でも小節ごとに気に入った演奏を切り取り、繋ぎ合わせて聞けばいい」という事なのだった。
(それは過激だが、良く考えればまったくその通り。)
つまり全部を受け入れてもらう必要などない。という事なのだ。

絵を描いているときなどに強く感じるのは「紙に書いているときが一番重要だ」ということだ。いや極端な話をすればまだ紙に描くまえ、心の中に「こんなものを描きたい」と思った瞬間が一番重要なので、後はただの「作業」である。

音楽は自分が「その曲を理解しようとしている-つまり私の場合永遠に練習ということなのだが-瞬間」が一番重要なわけで、「ピアニスト某のどのCDの演奏がよい」なんていうのはほとんど意味のないことなのだ。

ベートーヴェンもショパンも出版を目的として書いていた。100年後にも「ピアノで弾かれること」を前提にしていた。「CDでピアニスト某が演奏再現すること」ではない。





Thursday, December 09, 2004

たとえばフランツが今一番欲しいもの

あああ~。
知る人ぞ知るわたしの成り切り妄想。

これがまだ現実と妄想の境界があるのでまだ正常なのだが(少なくとも文章の上では・・・)日常生活となると、結構混乱している。ピアノのそばにリストのでっかいポスターが(彼の13歳の時の肖像。ピアノに座っている。)かかっているのは前にもどこかに書いたとおり。
最近葉書サイズの写真が4枚縦に入る(いや横でもいいのだが)額にこんどはまたまた彼の肖像画をいれた。あのアングルとバラバシュの描いた肖像、それからクリーヒューベルの水彩画(ああ、これがまた・・・)
それをピアノのすぐ左の壁に立てかけてあるのだ。

それはさておいて、
頻繁に見るハイテクストアなどのチラシ。
アレを見るたびに

「うーん。フランツはきっと自宅のパソコンのモニターに20インチのフラットパネルをいれて、それで音楽もDVDもすべてたのしんでしまうだろうな~」
とか
「いや、彼のことだからラップトップだけはトップオブザラインだけど自宅のパソコンは実用一点張りかもしれない」
とかわけのわからんことを想像して喜んでいる。

無線インターネットホットスポットとかどこに行けば在るのかよく知ってそうだし。(どこの国にいっても、スターバックスなら絶対だけど。)

語学に堪能なフランツとはいえ、実はスペリングや文法となるととっても怪しいので最近のワープロはとても便利。
特に言語の切り替えが出来るから仏語と独語をまぜてビジネスレターを構成できるし。
ま、現代ならほとんど英語のほうがレターは多いかも。
各地のインプリサリオ(マネジャー・代理人)にもメールでスケジュールや出版の指示を随時出来る。当然、弟子たちにはCC:も忘れない。じゃないとコルネリウスなんかが後になって、右往左往してしまい何度もハスリンガーに余計なコピーを送ってしまうからだ。

それよりも目が悪くても、字が汚くてもまるで心配する必要がない。

***
それから、お母さんに買ってあげる家具。
樫かエボニーのしっかりした実用的なものを。
(エボニーにしなさい。-じょるじゅ、意味ないけど個人的な趣味で・・・)
年とともに味が出て、価値の変わらないデザインのもの。

応接間用は少しはやりのものがいいけど、やはりセンスのいいベージュのトーンオントーンのストライプか薄い青のダマスク織みたいなのがいいかも。
いや、色は何色でもいい。黄色以外なら。黄色の家具はどうしても落ち着かないんだ。

***
もちろん、意味もなく想像しているんではなくて、自分が欲しいものとかを選ぶときになぜか
『フランツなら・・・』
と考慮に入れてしまうのである。
今日はとうとう128Mフラッシュドライブを15ドルで買った。今までどこで見ても28ドルはしている。
掲示板あたりに最近書いた。_フランツなら速攻で買っているはず・・・

デジカメのメモリーステイックも実は256Mのを58ドルで売っていた。
128でも45ドルはするから買ったほうがいいのか・・・
フランツならどうするか。
128Mでも充分だからそれですますか、やはり特だからニゴロにするか。(ああ、そういえば昔プロセッサーのスピード自体がこんなもんだったな。とか。)

***
某マダムMには
「それだけ知っていなければそういう妄想も出来ないわけで・・・」
と鋭い指摘を受ける。

困ったことに現世の夫は
『君に任せるよ』
『君が気にいったのでいいよ。』
『君の好きなようにすれば』
という人間なのである。だから、仕方なく私は「愛人のフランツ」の趣味を考慮するのである。今のところ、何も支障はないのでいいのだが・・・


Wednesday, December 08, 2004

またまた、ピアノ調整

うちのBOSTON GP-193である。

2週間ほど前に調律したばかりなのだが、その直後からとんでもない『バズ-日本語だとビビりとでも言うんでしょうか』が全音域で耳に障るようになった。

上から三つ目のCの音域は購入当初から不安定でなんとなくそれもあるのだが、全音域に影響したのは初めて。
おまけに今季は記録的降水量をすでに経験しておりピアノの木材が大幅に伸縮していることは簡単に想像できる。

おなじみのジョッシュに泣きつきの電話。

「もしかしたら蓋のねじかもしれないけど、一音一音弾いても再現できないのよ。でもいろいろな曲を弾くととんでもない調子はずれの「バズ」が耳に障って・・・」

「うーん。考えられるね。全部ねじ締めた後で、どの程度よくなるかチェックしてみようね。どちらにしても原因は突き止めてあげるよ。」

というわけで、昨日の昼彼が自宅に現れる。

「どの音?」
「このCの前後、とくにC#、C G、F、あたり。」

彼は楽譜がなど載った状態(つまり通常私が弾く条件、不要な楽譜が積み上げられ鉛筆などが散乱している)
楽譜や鉛筆を下ろした状態
蓋を半開きにした状態(よく使う)
蓋を全開にした状態(たまに使う)
蓋を閉鎖した状態
全開にして、楽譜立ても除去した状態(調律状態に近い)

で、それらの音域、それから私が簡単なフレーズを両手で再現。
その間、蓋や骨格のねじを全て締めるが高音域のバズはなくならない。

その後彼はいろいろチェックした後こういう診断をした。

私の聞こえているのは高音域のカポから弦を止めている釘のあいだの弦が振動している倍音らしいのだ。勿論、これはどのピアノにもあるものだし、個々のピアノの音質キャラクターを構成している要素でもある。ただ、一音につき弦が三本、そしてカポは手前(つまり鍵盤すぐ上)とハープ部分の最先端にもあるわけで、ハンマーが打っている肝心な部分のほかにもそれぞれが鳴り響いているのだ。
そして、和音などが鳴れば実際に弾いている音のオクターブ上の弦も同時に振動する。なんとこのカポから弦の釘の間の音を調律することさえ出来るのだ。

前に書いたようにこの音域は不安定で三本の弦のうち一本が少しでも狂うと、私にとっては『気持ち悪いほど』しっくりこない響きに聞こえてしまうのだ。私は三本のうち一番低音側が少し低いことまで知っている。

ジョッシュはわたしが『暗めで甘い音』を好きなのはよく知っているから別にピアノが調子悪いわけではないが『好みに合わせるために調整する方法』を説明してくれる。

問題音域の弦にフェルトをいれ振動を抑えるのだ。

フェルトはハープ部分先端にある弦を止めている釘の下などにも挿入されているが、同じような原理である。
ただ、最高オクターブ部分は(つまりダンパーの無い音域)はこのピアノのキャラクターを左右するのと、そこまで倍音を抑えてしまうと実際に低音域と音量が対抗できないほどバランスが悪くなるのでそこにはフェルトを入れないことにした。

若手でまだ修行中だが、自分の仕事を愛し誇りを持っているジョッシュはある意味で『理想のピアノ調整技師』であるのだ。
彼は自分の師なら多分私のピアノを最初に聞いたときに上の診断をすぐに下しただろうといった。つまり経験によってそのぐらい的確にしかも、簡単に症状とレメデイの判断ができるのだ。

「僕は幾つかやって、いろいろ考えてそこにやっと到達したわけだが・・・」
とジョッシュは満足そうな笑みを浮かべ長いポニーテールを背中に押しやるのだ。

「フェルトをいれたあと、もう一度全音域の調律をチェックするね。倍音が聞こえるはこの音域だけでも狂っている音の倍音がたまたま他の低音と一致したりすると、君にはわかってしまうようだからね。そして2週間ぐらいして君の耳がこの処置に慣れたらどう思うか教えてくれ。」

***
「一応今日できることは全部終わったよ。弾いてみてね」

私は覚えたてのバラード一番のアジタート部分とソットヴォーチェ部分を通しで弾いてみる。

「ああ~気持ちいい。いいおと。直ったみたい。私に倍音はまだ聞こえるけど気持ち悪い響きは無いし。」

ジョッシュは笑って
「倍音はあるのが普通なんだよ。でも、低音域も結構狂っている音が幾つかあったからそれが影響してたのかもね。今年は君のピアノは3ヵ月おきに調律してみたらどうかな。」

私は確かに必要かもしれないと即座に同意する。

「普通の人なら二年目は6ヵ月おきでも充分だけど、君は自分の好みがはっきりわかっているし、普通の人より違いが弾きながらすぐわかっちゃうしね。これだけ頻繁に、それもかなりアグレッシブに練習するならピアノが安定するまでそれでやってみよう。
僕の師(あのアダムス氏。一度来た事がある。)はあのピアノ教本のジェーン・バステイエンさんのスタインウエイも3ヵ月おきに調律しに行くんだ。彼女は自宅に7台ピアノがあって、娘さんの所にも4台あるんだけどね。でも家でたくさん教えているからそのぐらい必要なんだ。」

彼はそれに付け足した。

「君みたいな人のために働いているとね、僕も技師として成長が早いよ。」
と笑ってお辞儀する。

「いや冗談は抜きにしてそういう人に出会わないと技師はただ毎回調律して終わり。弾く人に何も言われなければもしかしてまるっきり的外れな事をピアノに処置して、そのままそれでいい、と技師自身が自己満足することになりかねないんだ。

あなたに『こういう音にして欲しい』といわれることによってこのピアノではどう処置すればそれに近くなるのか、ということを学ぶ機会が与えられるからだ。
勿論いつかは僕もスタインウエイの技師になりたいが、修行中に『いろいろなケース』を学ぶ機会がないと技術は身に付かないんだ。
僕がサービスすることで、同時に店は顧客満足に努めることが出来るし、君はこのピアノを買ってよかった、そして自分のピアノにさらに愛着が沸くし、もしかしたら10年後にはこの店から今度はスタインウエイを買ってくれるかもしれない。つまり、皆満足、というわけさ。」

ということでまた無料サービス。
「いや、一年に4回は全然悪くないよ。」
「じゃ、今日のお昼代は私が・・・」
とチップの20ドルをわたす。

「ありがとう。電話してどんな調子か教えてね。」

と扉で彼が帰り際、師のアダムス氏から電話が入る。
「ああ、いまちょうどドアを出るトコなんですがカポ部分にフェルトを入れて倍音を少し消して、彼女は今のところハッピーなので・・・」
と報告。アダムス氏もそれでいいんじゃないかとのコメントだったとのこと。


***

ボストンGP-193はとてもいい楽器である。

構造的にはスタインウエイのいいところを受け継いでいて(上の高音域カポの構造もスタインウエイが最初に開発して、現在はいろいろなメーカーがコピーしているものの代表例)さらに音質的に最新技術を導入してより豊かな音質を出せるように設計されている。
特に中低音の豊かさは私はスタインウエイの同サイズを完全に上回っていると断言できる。
(つまり、スタインのMモデルぐらいにならないとあのパワーのある低音が出ない)

素材などは実はスタインよりいいパーツも使っていたりする。音質と直接関係ないがプラステイックを使っているスタインに比べるとボストンは『人口象牙』を使っているところとか。値段が格安なのはパーツを量産して河合の工場で制作しているからである。量産しても品質管理の厳しい日本の工場システムがボストンを可能にしているのだ。

193センチという大きさがチャチい楽器と違って技師にとってもやりがいのある『技術ケース』を提供するのだ。そして弾くほうの私にとっても『こういう音がいい』というと、それを実現できるだけの素材がGP-193さには備わっている。これは結構重要だ。定価はお手ごろでも手を掛ければそれなりの音になる楽器というのは最初から不可欠な条件だった。
その点、私のセールスマン、フレデイは的確に私の好み(その時点では自分でもはっきり意識できていなかったが)を見抜いて店で私と『相性の合う楽器』に引き合わせてくれることが出来た、ということはある意味で驚嘆に値するわけだ。そして、ただ、倉庫にある同モデルを搬送するのではなく特定の楽器を私のために他の人に売らないように手配してくれるあたり、さすがと思わずにはいられない。
もう一年になるわけだが。それらを再認識した。

前にも書いたとおり、今年の後半に調律をA=440に下げて(今は443私が受け入れられる限界。それでも「少しブライトかな~」と感じる)ヴォイシングをすることになるだろうが非常に楽しみである。



Monday, November 29, 2004

古い写真


My sister, Mrs Gomez, Amy Gomez, Me. Posted by Hello

エイミー・ゴメスはニューオリンズから来た英語教師だった。私は22か23ぐらい。彼女はとても積極的でアクテイブな女性だった。彼女の母が日本に初めて訪問した時に鎌倉を案内したのだ。

エイミーの母はホンジュラスからの移民で一人でガイド会社を運営経営、自分が社長兼ガイドバスドライヴァー兼ガイドという肝っ玉の強い女性だ。
彼女たちの話を聞いて『私にできないはずが無い』と非常に影響を受けた。16歳のときに短期滞在した米国人家族、そしてこの2人に出合うことがなかったら私は絶対に米国人と結婚し、米国に住むという事を実行することはなかっただろう。

もちろん父が外資系会社員で頻繁に海外に旅行し、自宅にも様々な外国人を招待していたので考える機会は小さいときからあったが。

彼女らの話を聞いていると『考えるだけ』と『実際に自分のやりたいことを実行する』ということに『大きな違い』があることがよくわかるのだ。

ゴメス夫人はほとんど英語も危なっかしいのに『成功するチャンスを求めて米国に移民』。そして自分の努力でそのチャンスを勝ち取り自分の物にした。娘のエイミーを私の娘だから、ときちんと『英語とスペイン語を両方正しく話す』ことを指導し、大学に送りきちんと卒業させた。エイミーはニューオリンズという土地柄もあり仏語も同じように流暢であった。

教育もなく、どのような国かも知らない場所にひとりで移住し、自分のビジネスを始める。そして米国にはそれを受け入れ、成功する余地がある。それなりにきちんと教育を受け、最低の語学能力があり米国文化や他国文化に敏感に育てられた私がゴメス夫人に劣ることなどあるだろうか?

無い。

つまり、自分の実行と努力以外に違いは何も無いのだ。


これを意識できたことは私にとって人生最大の悟りといっても良い。

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もともと何か問題があれば悩むより先に『どうすれば解決できるか』を考えるように仕込まれた私。つまり自分の努力や機転、考え方を変えることによってどうにでもなる問題が実はたくさんあるのだ。そしてそれらは私にとってはさほど『問題』のうちには含まれないのだ。

ああ~。問題ばかりで融通の効かない世界に意味もなく無理にしがみつく必要はない。自分の能力を認めてくれる、生かせる場所が世界中にはいくらでもあり、そこを見つけて自分で行けばいいのだ。
なんと簡単な事。
コロンブスの卵。

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というわけで今の私がある。

別に私は独立企業家でもなんでもないがストレスもなく毎日幸せに、そして多分死ぬまで金銭的に困ることも無いだろう。二人の子供たちはそれなりに可愛くてそれなりに頭も良い。主人は限りなくわがままを許してくれる。
これ以上の人生は意外と億万長者でも送っていないことがよくわかっているので非常に満足だ。

そして、人々は究極的にはそれを求めているのではないかと思ってしまう。