Friday, October 01, 2004

映画 『モナリサスマイル』 ジュリアロバーツを見た

特にジュリアのファンというわけでもないがさっぱりした彼女の描く女性がいつも好きなので、テレビで放映されるたびに見ている。
今のところこの映画、一番最初の部分をいつも見逃しているのだが大体映画としての筋はつかんだ。

非常に興味深く面白い。フィクションと事実が非常にうまくブレンドされて、フィクションの部分もうそっぽくない。『これは映画のお話だから』とは言わせないほど説得力がある。

設定は1953年ボストン郊外ウェルスリーにある名門女子大『ウエルスリー大学』の美術史教授の話だ。ウエルスリーは米国でも『セブンシスターズ』の一つに名を連ねる大学である。未だに女子大。ラドクリフ、ヴァッサー、バーナードは「男女同権ということで」男性も受け入れるようになっている。

日本では「セブンシスターズ」はあまり有名ではないが米国では『アイビーリーグ8大学』の女子大版という感じで『名門大学郡』として比較される。
その一因としてバーナード、ラドクリフはアイビーリーグの名門、コロンビア、ハーヴァードの『女子部門』として設立されたことが上げられると思う。
ヘレン・ケラーもラドクリフ出身である。

男女同権が謳われてアイビーリーグが全て女子学生を受け入れるようになったが女子大では伝統を守っている所がある。つまり男性に門戸を開放しているかによっても、学校の雰囲気がわかるのだ。
一番最初に男性を受け入れたヴァッサーは若い学校で、非常に進歩的。ジョンレノン夫人の小野洋子さんも実はヴァッサー出身である。(知らなかったでしょう?)

スミスやウエルスリーは保守的(伝統的というべきか)なのだろう。あるいは女性の教育に関しては進んでいると言う見方も出来る。

背景的なことはこの程度にして、映画を見て感じたことだ。

約50年前米国で起こっていたことが日本ではまだ起こっていないような気がするのだ。
70年代に『ウーマンリブ』(Women’s Lib=米造語女性解放)という言葉が輸入されたが日本では、思想、ライフスタイルとして定着するほど理解されなかった。つまりファッション的なもので終わってしまい基本的な『Women’s Liberation-女性解放』には至らなかった。ちょうど小学校低学年だった私は『女もズボンやジーンズをはいていい』などという教え方をされた。

80年代の初めキャリアウーマン、新しい女性などという動きがでた時も日本ではファッションで終わり。化粧品などのキャンペーンに使用されて意識改革には至らなかった。(という事が今になってわかるのだ)女性の喫煙率が増えたぐらいではないだろうか?賃金職種の差別などはなくならなかった。

この映画を見て感じるのは『自分たちを解放できない女性自身の後ろめたさ』みたいなものを非常にうまく描き出している。
演じている米国人女性たちは当然『歴史的事実=過去の文化』として非常に違和感を感じていたことを皆インタビューで語っていた。それほど、現代人と50年前と意識、文化における女性という定義が違っているのだ。
私は、日本人の女性としての経験が30年もあるので『日本人としての経験、意識の変換』を感じて余計興味を感じたのかもしれない。

きっと米国人女性たちは『50年で私たちはこんなに変わったのね』と思う反面、どこかにその名残があること、そしてその後ろめたさを指摘されるような感覚に駆られると思うのだ。
ところが私は、それが理解できると同時に『まだ開放されていない日本人』としての立場も認識させられたりする。

「あれ、今の日本人もジュリアロバーツの演じる教授に触発されると同時に基本的には自分たちを取り巻く社会に迎合しなければ生きていけない女子生徒と違わない。そしてそれが21世紀に現実だ。」

もしこの映画を見てそれを感じない日本女性がいたら、何と幸福な事だろう。

ジュリアロバーツ演じる教授が素質を見出すトップの女学生をこれまた、インテリのジュリアスタイルズが演じている。
スタイルズの演じる学生が卒業を目前にして婚約者と駆け落ち、結婚してしまったと聞き祝福しながらもがっかりした表情を隠せないロバーツ。
それを見てはっきり教授に説明するスタイルズの言葉。

「あなたは私たちにいつも「自分のやりたいことは何でも出来るのよ」と教えてくれたではなりませんか。
私にとって家庭を持ち家族を育てることは『私のやりたいこと=自分の意思』なんです。
弁護士にならなかったことを後で後悔するかもしれないけど、弁護士になって家族のそばにいられなかったらもっと後悔するでしょう。これが私の選択なのです。

あなたは『自分のやりたいこと』を選べといっているのではないことに気が付かないのですね?あなたは『あなたのやりたいことを私たちにも選択しろ』といっているのではないでしょうか?
私が主婦になったからといってあなたが考えるように私が『自分を失った』とも『何も考えない愚かな女性に変わる』わけでもありません。
私がやりたいことを自分の意思でするという事が本当にあなたが教えたかったことではないのですか?」

若い彼女のことばに愕然としながらも真実を見出せずにいられないロバーツ。
同時に現代に生活する私たちはロバーツよりも、若いスタイルズのほうが実は『進歩的ではないか』という事が理解できるのです。
女性が何をしているのかでその女性の価値やインテリジェンスが評価されるのではない、という事に進歩的なはずの教授、女子学生を触発してきたはずの教授が初めて次の世代の学生に『揺り起こされる瞬間』でした。



1 Comments:

Blogger Ako said...

貴女の7年前のポスティングに対し、コメントすることを突拍子もないこととは思いますが、この映画をご覧になった上での解釈(最後の段落)が気になるので、コメントさせて頂きます。

スタイルズ演じる学生が卒業を目前にして婚約者と駆け落ち、結婚してしまったと知った時、確かにロバーツは愕然としています。しかし、それは、彼女が言ったことに真実を見出したわけでも、ロバーツよりも若いスタイルズのほうが実は『進歩的』だからでもありません。

 実際、ベティ(スタイルズ)は卒業の日に離婚届を出し、キャサリン(ロバーツ)に、女友達と同居しながら、一度は取りやめたエール大学のロースクールに願書を出し直すかも、と言っています。また、彼女は、自身の最後の論説として、校内新聞に「ワトソン教授は慣習や前例にとらわれず、自身の信念を貫くすばらしい人…云々」という言葉を退職するキャサリンに贈っています。最終的にベティが、当時の慣習にも、保守的な学長や同窓会会長(ベティーの母親)にも屈せず、自分の道を通そうとし、最後は退職せざるをえなかったキャサリンに触発されたのでなければ、なぜ離婚したのでしょうか?

ウィレン理子

January 19, 2012 at 12:34 AM  

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