Sunday, October 31, 2004

久しぶりの日本

やっと帰国4日目にして時差ぼけから完全に開放されたような気がする。

今回、滞在中はボケたりだるくて困ることがなかったのでそれは良かったのだが帰ってからが、「なぜこんなに・・・?」と疑問に思うほど酷かった。

実際のスケジュールは
10/21朝サンデイエゴ発。チェックインした直後出発約二時間前になっていきなり便がキャンセル。
予定の機種の整備不良で代替便は一時間遅れ。(コレがスリルあった。国際便に乗り継ぎなのにほとんど余裕なし。結局6-7-人いた日本行きの人を考慮して国際便は30分待ち。)
午後一時過ぎ離陸。日本時間の10-22午後3時20分着。

日本に到着後はそのまま日本のペースに。
翌日も少し早めに起床したものの、疲れはまったくなし。一日外出、夜12時過ぎ帰宅、そのまま妹と談笑、午前2時就寝。

10/23土曜
一日外出。前日訪問した古くからの友人夫妻と銀座でおち合いその後夫妻宅で五時過ぎまで過ごす。その後池袋でピアノ会。会の後食事などをしてやはり12時半過ぎ帰宅。

10/24日曜
一日外出。前記のハワード講習会。その後また友人夫妻宅へお邪魔。私のような人物が13年ぶりに(いや14年ぶりかもしれない)突然現れても毎日付き合ってくれる「ありがたい本当の友人」である。
この日も東京発ほとんど終電。午前二時近く帰宅。

10/25月曜
父と時間を過ごすため予定はなし。従姉が昼食に訪問してくるのみ。なんと、父も従姉もゆっくり話したりしたのは初めてとのこと。因みに父は78歳。従姉は53歳。お互いに鎌倉と横浜に30年以上も在住していながらろくに付き合いがなかったのだ。
そういう私も今年春に従姉がサンデイエゴに訪問してきて初めてじっくり語り合ったのだ。
でも血の濃さというか「2人ともまるで姉妹のごとく」音楽や芸術に対する姿勢がそっくりなのにひたすら驚嘆。追求の仕方もまるで同じ。
父は最近音楽に目覚めて結構音楽談義を楽しんだ。
夕方従姉が別れを告げた後父は昼寝。私もそれから出かけるにはかなり遅かったので昼寝。中学高校時代の友人から電話。
ひとしきり話した後翌日会うことに。

10/26火曜
実質的に滞在最後の日。ギタリストである友人(夫)が京都に演奏旅行に行くため東京駅でおち合い別れを告げる。身軽な彼らのこと、米国に来ることもあろう。夫人とともに軽い昼食。話は尽きること無いながら3時過ぎ彼女とも別れの抱擁を交わす。
今回まるっきり日本の店で買い物をしていないので「西武優勝セール」中の横浜そごうへ。面白いもの、素敵な洋服ブーツなどは山ほどあるのだが、米国とは桁違い。あきらめる。息子のために車のおもちゃとずっと欲しがっていた子供用の箸箱セットだけ購入。
隣にある丸井ではチュールのストールにマラブーのボアが縁取りされたものを購入。幅広でも、半分に折ってスカーフのようにも使用できる。コンサートの時などいつもクロのパンツにクロのブラウスなのだが、コレ一枚で豪華に出来るので「投資」として・・・
それから父のために薄いウールのスカーフを。
若者向けの店でイケメンのおにーさんが丁寧に応対してくれる。彼のモデルしていた黒いピーコート(日本でもはやっている)にあわせるようにベージュのものを購入。
翌日父に「最近若者が来ているツイルのピーコート風ジャケットを買ってコレをあわせるとモダンで、父上にも似合うのではないか?」と訊ねると「既に持っている。」といって見せてくれる。
プレゼントを渡すと「おお、お前からコレほどセンスの良い贈り物をもらうとは・・・」と感激してくれる。
贈り物と言われると恥ずかしい。父が実は「滞在費」と称し小遣い餞をくれたので一応、受け取ったと言うしるしにそのぐらいはしないといけない。
その後地元で中高時代の友人と待ち合わせ、高校時代の友人の経営するバーに繰り出す。
11時過ぎにはもう一人加わり昔話に花が咲く。
午前3時過ぎ帰宅。実はこの日成田から出発するのに荷物などさっぱり詰めていない。
帰宅後、かばんに詰めるものなどを分類するのみ。数時間仮眠。

10/27水曜
結局6時起床。七時半に勤務にでる妹に別れを告げる。
前日に計画していたまだ自宅に置き忘れていた二本のギターを、米国に送る手配をしようとして見積もりを取る。
なんと、保険配送料はあわせて一万円程度なのに特別ダンボールが9万8千円かかるという。
ふざけている。「あちらで新品のギター購入してもそんなにかからない」とキャンセル。次回息子を連れてきて、プロ音楽家のようにギター用に航空券一枚余計に買ってもそれより安いはず。まったくバカにしているとしかいい様が無い。
大して荷物は増えていないので手荷物二つのみ。大きいトランクは無し。(それ一つでも良かったのだが駅で階段の上り下りがあり、交通機関の乗換えなどで歩く場所が多い日本では私一人では不可能)
今回もし楽譜がなければ本当に22インチ機内持ち込みトランクのみでも大丈夫だった。
ジャケットは一枚持参したものの10度以上の気温ではほとんど必要としない。日本人は皆コートを着ていたが私はワイシャツ一枚でも全然寒くない。一応セーターはバッグに入れておいたが着ること無く。少し歩くと汗をかくので真冬の欧州でもない限りジャケットは必要ない。

父と昼食にピザ(コレだけはわざわざ日本で食べたくなかったが父が所望したので)そして駅まで父のフェアレデイで送ってもらう。日本のフェアレデイも今は2シーターだ。GPSなどまで着いている。スペースシップじゃあるまいし。半径50キロの場所で一生生活するのになぜ必要なのか?と質問すると、日本の道路は迷いやすいから、とのこと。一理ある。

3時前成田着。成田エクスプレス。高い。今回感じたのは毎日交通費が5000円近くかかっているのだ。東京往復、終電で到着した後のタクシー割増料金、少し離れた場所に行くタクシーなど。
どうも車に慣れているので、荷物を持って歩くことが非常に億劫である。歩くだけならいいのだが。

空港で手元に在った日本円でデジタルカメラを購入。帰宅してみると特に免税でも安くなかったが、日本円を持っていても仕方ないので「為替料金」とあきらめる。
日本で買い物して安いと言うものはありえない。楽譜も二倍近い値段。iPodも米国では税込みで300ドルほど。日本では4万円近く払った。(同じ値段じゃない!!!)
ブーツは軒並み3-4万円。こちらではスチュワート・ワイツマンという高級ブランドが買える。
為替は一ドル106円とか言っているが、100ドルで買えるものが米国では山とあるのに日本ではろくなものが買えない。実質一ドル360円である。未だに。(缶ビールは安くなってたが。500円だまで二本買えたのは嬉しかった)

思ったのは若い女性が可愛く、背が高くなったこと。男はあまり変わってない。相変わらず日本人は皆、申し訳なさそうに歩いている。なぜなのかさっぱりわからない。

父は相変わらずずうずうしく生きている。母が亡くなった今でもなぜか母の母校の理事だかなんだかを頼まれてやっている。本人は事務的な役目が終わったので(母の母校は新校舎を建設したり土地を買収したりするのに父のような企業経営に明るいものの援助が必要だった)辞めるつもりだったのに、米国人の校長に今度は「教育プログラム担当理事」をやってくれと依頼されているらしい。
私の滞在中も何度か電話があった。
父は旧専門学校の卒業証書さえ「危うい」程度である。ところが、真理を見抜く目と建前でごまかしたりはしないので、彼の言うことは誰も誤解することが無い。「額面どおり」なのは多人数がいるときやはり日本でもわかりやすいのだ。
そういう点は私も受け継いでいる。父も私も「多文化、他文化」のなかで生活しているので「本音」をきちんと表現する以外生き延びる手が無いのである。
それで嫌われても私たちは気にもし無いし、してもはじまらない。その代わりそれに価値を見出してくれる人たちには私たちも力の限りを尽くすのである。

10年ぶりに父にあったが変わっていなかったし、老け込んだと言う感じもしないのは凄い生命力というしかない。未だにゴルフでクラブの一、二をトーナメントで所属プロと競り合ったりしているらしい。

妹はと言えば39歳。自宅に住んで父に朝駅まで車で送らせている。家をでる3分前の7時27分になるまではお出ましにならない。お姫様なので朝のトワレは念入りになさる。魔法瓶の湯が空になっても「空だから出ないのよ」というばかり。自分で沸かして入れようとは思いつきになら無い。
それだけではない。父が妹の洗濯物を彼女が出かける前にして「差し上げているのだ」とのこと。まるで爺やである。でも彼女は小さいときからマリーアントワネットのようだったので仕方が無い。というわけで現代の日本人男性にはフェルゼン伯爵ほど甲斐性のある男性はいないのか、理想が高すぎると見えて未だに一人である。
(いや,要領が悪いんだ。私のようにいい男がいたらネコ被ってでも自分の物にしてその後教育すればよいとは思いつかないらしい。ちなみに私も夫に洗濯・料理をさせている。)

サンデイエゴに到着すると出発の日と同じくまたもや雨。
下の息子がかさを持ってお出迎え。彼にはサンノゼで買ったぬいぐるみを渡してやると大喜び。
「サンクス。マミ~!サンクス、フォー・マイ・トーイ!!!」
この子は自分の感情に非常に素直である。
いつもながら無言の主人。家に着くとカプチーノを作ってくれる。
家族のお土産を開いて終わり。
次回は家族全員で日本に観光に行きたいものだ。上の子は東京が気に入ると思う。


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