Thursday, November 18, 2004

家系図研究 Genealogy

米国で最近はやっている趣味の中に家系図を調べる、というのが非常にはやっている。もちろん話題の小説がテレビ化された『ルーツ』のころ、米国人のなかで「僕たちはこの地の出身ではないが先祖が世界中にいるはずだ。という事は全然知らない土地に家族が散らばっていることになる。」と意識したことが基点であろう。ところが、調べる方法というのが非常に手間とお金のかかることだった。
最近になってコンピューターとインターネットの普及で突然、そういうデータが簡単に入手できるようになりまたそれらのデータを集めて家系図専門サイトとして人々に情報を提供するサービスが出来た。

私個人は米国になんの関係もないのでデータベースに何も引っ掛からないが、これらのサイトが実は19世紀の王侯貴族の血縁関係などを調べるのに非常に便利であるのだ。

今日も、ショパン関係にお詳しく来日時お世話になった友人のルドヴィカさんからいったいこの人はどういうお家柄?なんていう質問を頂いてもその場でメールにお返事を書けるほど資料が揃っていた。
もちろん、問題の家系が現在でも明解にそして依然として父系家族として継続している名家であったから資料もアレだけ完全なものが揃っていたのだが、それにしても赤の他人に顔写真つきで先祖代々知られてしまうのがいいことか悪いことかよくわからない。

もちろん最近の流行とは別に私は実家の家系図を昔、父に見せてもらったことがあるのでそれなりに興味はいつもあった。父の家系、廣澤家は父から数えて5代ほどさかのぼることが出来、その人物は出雲大社のあるあたりの村長に18歳でなったという事だった。どうも学者的素質が代々あるらしく祖父の従姉妹、出雲の廣澤の中には学校校長から教育長などになった人物もいるようだ。そういう祖父も書家でありかなりの学があった。祖母は落ちぶれ武家の娘であったらしい。

コンピューターを買った頃は特に日本のネットに何の情報もなかったが、最近調べた所、廣澤はなんと神奈川県の波多野氏から分家した系図が備後に領地を与えられてはじまったようであることがわかった。
波多野氏といえば源家の家臣(たまたま私は鎌倉在住でそのあたりのことは学校でもよく詳しく習い資料が普通の教科書よりも手に入りやすかった)であったが備後に別れた廣澤の一族は戦国時代から豊臣織田時代に様々な側に所属していた。

そんなことがなんとなくわかり戦国から江戸にかけての家系図がわかれば、曽祖父につながるはずである。

10歳ぐらいの時に出雲の親戚を訪問したことがあるが出雲大社から歩いて数分の所に邸宅があり、あたりでも廣澤といえばすぐわかるらしかった。周りは確かタバコ畑とか桑畑のようなものしかなかったので私はきっと廣澤は農家であろう、と勝手に納得していた。でも、江戸末期から明治の時代の出雲のあたりの政治的体制を調べるとどうも村長といっても、ちょっと頭のいい農民がなれる職業でもなさそうだった。それよりも一応、13世紀からの苗字があるということじたい苗字を名乗ることが許されている身分に属していたという事らしいのだ。

明治維新のときにどちらについていたかによって政治的、または天皇制復活の際、その直後に天皇家以外の家系にも爵位を授与したようなので実際の天皇家の他は爵位がある家系といっても明治以降の事でしかないようだ。その意味では欧州の爵位の伝統とは少し異なるかもしれない。

欧州では王侯貴族の政略結婚が何百年にもわたって繰り返されており、それによってタイトルも自国以外のものを幾つも持っている例があるのだ。ハブスブルグ家の家系図などを読むとそれが簡単に理解できる。ハブスブルグのプリンスであってもトスカナ大公国の大公、またはメキシコ皇帝(暗殺されたマクシミリアンのことね)、皇帝フランツヨゼフは同時にハンガリー王ともなっていた。
貴族たちももとはポーランド出身であっても、ロシアがポーランドを治めている間にロシアの爵位を授与されて同時にロシア貴族のランクに名を連ねたり、結婚による血縁関係によってザクセンの爵位を受けたりいろいろである。

それから本文に少し紹介したように資本主義思想が浸透してくるとロスチャイルド家のようにユダヤ人の商人から身を起こし、欧州各国から爵位を授与され19世紀末にはレッキとした貴族となってしまったものたちもいる。貴族制度がほとんど意味のないものになった現在でもロスチャイルド家の者たちは「男爵」のタイトルを名乗っている。フランスでは自由平等博愛が謳われ革命が起こりいち早く資本主義、民主主義がはじまったのに同時に封建制度の名残である爵位に未だにこだわっている家系が今でもゴマンとあるのはなんとなく皮肉ではないか?

さすがに米国ではバロン○○とかプリンセス××とか名乗る人はほとんど居ないが、欧州には多い。イタリアやスペインなどにもブルボンやハブスブルグの直系の子孫が沢山いるので「プリンス某」などがお隣でコーヒーをすすっていたりするかもしれないのだ。そして米国人なそう言う自分のルーツを知っているという事自体が羨ましいのだ。だからアイルランドの農民出身だろうがアフリカの奴隷出身だろうが先祖と自分の家系を知るという行為に魅力を感じるのだ。
(いや奴隷とはいえ、アフリカでは部族のプリンスだったかもしれないのだし。)

カリフォルニアは米国の州となったのはかなり後だし、カリフォルニア自体が米国の中でも移住者で出来た州であるという認識が主流である。ところがよく考えてみれば米国中に先住民族のインデイアンたちがいるし、それはカリフォルニアも同じだ。
それから南カリフォルニアにはカリフォルニアがまだスペインの統治下にあった頃の時代から継続している家系が有ることも忘れられない。つまりインデイアンに次いで『米国人』と名乗るにふさわしい7代もさかのぼることができるヒスパニックも存在するのである。
それからニューオリンズ周辺には当然仏統治下時代に移住してきて独自の文化を築いたクリオールたちもいる。クリオールは白人も混血も両方いて米国の地方文化の中でも非常にカラフルで魅力的な伝統文化を今でも受け継いでいる。(前に紹介した作家のアン・ライスもニューオリンズのそのような特殊文化をヴァンパイアシリーズに巧く反映させていて、米国に親しみやすさと欧州文化への憧憬を同時に体験させ、それが大ヒットの原因となっていることは間違いない。)

米国人だけではなく欧州文化への憧憬は実は日本にも強くあり、それが実はクラシック音楽や歴史への深い傾倒につながっているに違いない。少なくとも私はそうだった。
漫然と「お伽噺の王女さま」に憧れるよりも具体的な歴史や芸術について調べるほうが充実感がある。(ついでに妄想もして楽しむわけだが。ルドヴィカさんやマトゥシンスカさんとする会話の濃さといったら大学の歴史や芸術講座の授業よりマニアックのものに違いない。大学に行ってないからわからないけど。笑)

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