Thursday, December 23, 2004

人間リスト

下にどうやって当時の音楽を楽しむか、なんて勝手なことを書いたが別に「どれが正しい」という言うつもりはない。

だいたい「正統派のピアニスト」「正統派の芸術家」なんて言葉はオキシモーロンOKXYMORONである。たとえクラシックであれ「こうしなくてはいけない」なんて手法にこだわるのは愚かだといいたかっただけである。
ところがそういう意見を言っただけで「ケシカラン」と腹を立てる人物が意外に多いのだ。
つまり自分が正しいと信じていることに反対する人の存在が許せない。したがって、そういう意見を聞くと腹を立てる、ムカついてしまう」のだ。
いやなら無視すればいいと思うのだが、「間違っているものを正さなければいけない」と固く信じているから始末が悪い。

と愚痴ったところで、こんなことが書きたかったのではないのである。

***

リストは長い間「演奏家・ピアニスト」として世に知られ、同年代のショパンと比べてみると活動などの年代スパンがまるっきり違うことが良くわかる。
ショパンが早くから「作曲家」として揺るがぬ地位を築いていたのに対し、リストは演奏家としてでさえかなりの遅咲きである。
天才少年として早くから名を馳せてはいたものの、実際に「演奏家リスト」として本格的活動をはじめるのは3人目の子供が生まれてから、彼は既に28歳である。
明らかに子供達の生活費、養育費そして一応将来彼らが困らないだけの貯金を稼ぐためにピアニストとしての生活に飛び込んだのである。もし。彼が望んだなら、もっと早くにいくらでもそのように出来たはず。たとえば同じく同年代のヒラーやプレイエル夫人などは10代のときからそのような活動をしていた。
リストはそれらの立ち並ぶ大物ピアニスト達の中でも、その気になれば簡単に周りを圧倒することが出来たのにそれは必要に迫られるまでしなかった。

リスト自身「自分を演奏家として売る」ことに早くから疑問を持っていて、作曲家としての自分が、それらの作品を世間にプロモートするための必要悪、大いなる矛盾として〈彼は、そのような美しい表現は使っていない。「芸術家の売春行為」と呼んでいる〉常に悩んでいた。

演奏活動を引退、作曲家、指揮者として活動を始めても当然彼のもとにはピアノを習いたい、という若手ピアニスト達が集まる。
ところが彼は「僕はピアノ教師ではない」とカンタンに言い放ち、授業料を取らず「音楽家の先輩としての助言を与えるだけ」の活動をする。
若い音楽家たちは「自分の持っている芸術」というものを彼に提示できなければリストには受け入れてもらうことは出来なかった。
「そんなことは音楽学校に通って勉強したまえ」といわれた音楽家達は多い。

「君はそんなひきかたをどこで習ったのかね?」
「カール・クリンドワース〈リストの一番弟子の一人〉が教えてくれました」
「うん。それは彼にはぴったりで彼はそれで非常に巧くやってのける。でも、同じ方法は君には向かない。」

彼が指導するときは百人百様の方法で導いたのである。それが「ライプツィヒ」(音楽学校のこと)と彼との大きな違いだった。「ピアニスト生産工場の音楽学校」と違う。リストは若い芸術家に助言を与えるだけなのだ、という静かな反乱だったのである。

あるピアニストが英雄ポロネーズの中間部、左手オクターブを弾きだしたとき、彼は怒鳴った。
「私たちは君がオクターブを早く弾けることなんかに興味はない。私が聞きたいのはポーランド軍の騎馬隊が押し寄せ、敵軍を踏みにじり味方を勝利に導くサマだ!」

ピアニストの髪が逆立つのが想像できる。


きっと未だに「こう弾きなさい」と指導する音楽教師は多いだろう。



0 Comments:

Post a Comment

<< Home